イビチャ・オシム。
日本では日本代表監督候補として一躍有名になりました。
バイオグラフとして最も有名なのは、ユーゴをベスト8に導いた90年W杯。
準優勝のマラドーナを擁するアルゼンチンに0-0のPK戦で惜しくも敗れ、
この事によりオシムの名が知れ渡った。
しかし91年にミシェロビッチ大統領のサラエボ攻撃によって
オシムの故郷が紛争の渦中にある抗議の意味で
代表監督を辞任する事となった。
その後クロアチアなどが離脱したためにユーゴ代表は消滅。
こんな不安定な国で代表をまとめあげたオシムの手腕はかなり評価されてるぽ。
それからはオーストリアのグラーツというチームを
国内リーグ下位から一気に優勝争いをさせる位置まで押し上げる。
さらに3度チャンピオンズリーグへと出場させるなど
ここでも素晴らしい手腕を発揮。
しかし2003年にオーナーともめて追い出された。
それから沢山のオファーがあったに違いない。
その中で選んだのがジェフ千葉(当時ジェフユナイテッド市原)。
建て直しつつあったこのチームを更に上位に安定させた。
ここで疑問が。なんでジェフ千葉なのか。
サッカー辺境国の日本。その中でも経営状態がいいと言えないジェフ。
オシムほどのビッグネームなら、
ヨーロッパのもっと大きなチームからも要請が来ていただろうに。
はいここから憶測ですよ。
・・・
ここから持論を展開させようと調べてたら
WIKIに色々載ってた。。。
なんか選手時代に日本に来たことがあったそうですね。
東京オリンピックで選手として来日し、
その時に見た日本が非常に好印象だったそうな。
これが答え・・・かな。
まあいいや、当初の目的を果たします。
僕はね、オシムは日本に「平和」を見に来たと思うんですよ。
オシムの祖国・ボスニアヘルツェゴビナは紛争がずっと絶えない国だった。
現在はだいぶ安定したと言っても、まだまだ民族間のしこりは残っており治安も悪い。
それで、単一的な民族で構成されている日本の平和を見にきたんじゃないかなと。
平和の先には何があるのか。サラエボが平和になった時の事。
平和になるには多くの困難があるが、平和になってからでも問題がある。
そんな事を今思ってるんじゃなかろうか。
彼が日本を去ってからが注目です。
故郷に戻るんじゃないかと思うんだが、どんな活動をするのかな。
それにしても・・選手時代にイエローカードを受けなかったというのは本当だろうか。
本当ならすごいな。
ジーコ、ベンゲル、リネカー、リティ、ストイチコフ、スキラッチ、ディアス、アモローゾetc...
考えてみれば、日本にサッカーをしに来たすごい人達って多いね。
トヨタカップは抜きにして。
晩年を過ごす避暑地みたいなものだとしても、これは素晴らしい事だ。
それぞれには思惑があるんだろうけども
それを満たしながらも、日本が受ける恩恵は大きい。
サッカーで言えば、日本は「別格のへき地」なのかもしれない。