新・ぐだぐだ日記Ⅱ



「いじめ」は社会に適合した行為

いじめは反社会的行為にとられがちであるが僕はそうではないと思う。

いじめは誰もが経験する。
特に子供の時、閉鎖的空間の学級の中で。
いじめる人、いじめられる人、消極的にいじめに参加する人、見なかった事にする人。
もしかしたら、今の大人でいじめに関わらなかった人はいないのではないだろうか。


いじめに敢然と抵抗できぬまま、みんな大人になっていった。
子供の頃に見逃してきた大人が、いじめは良くないと言っている。
その閉鎖型社会で公然と行われていて、それを受け入れたくせに。


しかも、いじめた人、傍観してきた人は大人になって、
社会を大手を振って歩いている。
何のコンプレックスもなしに。


いじめられた人だけ覚えていて、
生涯引きずる人もいるだろう。



なぜか、僕はいじめた事を覚えている。
消極的であったために罪悪感が離れなかったのだろうか。
いじめられる奴が悪いんだと
無理にいじめを正当化していた。

確かに、いじめられる方に原因がある。
だから、暴力に屈した。


こんな論理がまかり通る社会だった。
おそらくみんな同程度の経験をしてるだろう。
今の社会もいじめを許容している社会である。
慈悲を紡ぐその口は、かつて呪いの言葉を発していた。


いじめをなくせというならば、まず社会を変えなければならないだろう。
人は、あまりにも暴力に脆い。
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by kudamb | 2006-08-09 11:09 | 考える人(考察)
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